サロマ湖100キロで私は「狂走」 悪魔に「どうかあそこまでは…」

有料記事心臓病と走る

神村正史
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 マラソン大会で「きょうそう」と聞けば、「競走」を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、私が「競走」という感覚を保てたのは50キロほどまでだった。

 初挑戦となった2017年6月25日のサロマ湖100キロウルトラマラソンでは、50キロから先に、まったく違う「きょうそう」が待っていた。

初めて100キロという距離に挑んだ筆者は、その中盤あたりから、体も心も尋常ではない状態に陥っていきます。その時のことを包み隠さず綴りました。

 北海道湧別町の湧別総合体育館前をスタートした選手らは、まず体育館周辺の5キロを1周する。

 スタート前は、登山用のカッパを着ていても雨に打たれて寒さを感じていたが、その5キロを走るうちに体は温まってきた。

 5キロを1周して再びスタート地点付近に戻ってきたころには、額から汗が噴き出してきた。カッパを脱ぎ、沿道に妻を見つけると駆け寄ってそれを預けた。

 カッパから解放されると、急に身軽になって体が動かしやすくなり、足への負荷も減った気がした。同じころ、周りの選手も体が温まったのか、一段階ペースが上がった。

「監督」のアドバイスを守れなかった私は…

 「54・5キロのレストステーションまでは1キロ6分30秒よりも速く走ってはならない」

 これは、私が勝手に「サロマの監督」と仰いでいる中標津十二楽走の先輩、遠藤和也さん(64)から最も強く言われていたアドバイスだ。

 しかし、身軽になった私は周りの選手に引っ張られて序盤から1キロ6分ほどにペースが上がってしまった。

 大事なアドバイスを守れなかったつけは後から背負うことになる。しかし、この時はそれを知るよしもなかった。

 大会を前に立てた「10キロ…

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